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歴史

 

  1860年 (清朝) より私たちの先祖は台湾北部にて土地を開墾して茶葉や柑橘の栽培を始めました。茶葉の品種は福建安渓の青心烏龍で、烏龍茶は台湾で最初に製造された茶葉であり、遥か清朝嘉慶時代には福建からの移民に伴って台湾へ移植されていました。

 

1858年 英仏と中国による天津条約が締結されたことで、台湾府の開港が規定され、当時香港のイギリス業者であった怡和洋行(Jardine.Matheson&co)は烏龍茶の粗製品調達のため台湾に人を派遣し、福州に出荷して加工精製を施した後、パッケージングをしてイギリスで販売したため、それを機に台湾茶葉の福州への出荷量は年々増加して行きました。その後、イギリス業者の怡和洋行は台湾精製茶葉を直接海外輸出するようにもなり、台湾茶葉海外輸出の時代が始まりました。茶葉の需要が大量に増加し、多くの中国から台湾へ渡ってきた移民たちは、次々と茶葉の栽培と製造に従事するようになりました。海を渡って台湾へやって来た私たちの先祖も、きっと当時の産業傾向に伴って必死に台湾海峡を渡って来た大勢の人々の内の一員だったのでしょう。

 

1869年 イギリス商人のジョン・ドッド(John Dodd)は精製烏龍茶の台湾での製造が成功したことを鑑みて、二艘の帆船によって21000㎏の烏龍茶を積載して直接アメリカ・ニューヨークへ輸出し、アメリカ国民に広く愛され、台湾シャンパンと呼ばれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1873年 伝統烏龍茶を再加工し、薫花によって製造した台湾フレーバーティーが流行し始めましたが、薫花の工程が複雑で、花材のコストも高かったため、1885年に包種茶と呼ばれる新たな製茶方法が開発されました。製造されるお茶は薫花加工処理を施したフレーバーティーよりも香り高く、当時の台北州農協に皇太子殿下が台湾参観をされた際、初めて包種茶を召しあがった皇太子に、清々しく甘い香りと、飲み干した後も香りが長らく残ることを、大いに称賛されました。1909年、包種茶は台湾茶を代表して日本博覧会に参加し、特等賞に輝いて、一世を風靡しました。坪林は現在台湾でもわずかに残る昔ながらの製法による包種茶の生産地であり、製茶工芸と文化の保存に尽力しています。

 

1910年台湾茶株式会社が設立され、総督府民政部殖産局の補助と委託の下で、「安平鎮茶樹栽培試験場」を設立し、紅茶生産の担当を始めました。台湾の紅茶はこの時よりその独特な清々しい香りを発揮し、最高級のダージリンティーの麝香と比べても、台湾紅茶の方が香り豊かで魅力的です。

 

 

 

 

 

 

 

Source: Cutty Sark Trust

Source: taipics.com

The cylindrical basket used

to roast tea leaves.
Source: Hakka Affairs Council, Executive Yuan

The composite tea clippers  

Source: Bonhams auction house

Tea packaged for overseas shipping Source : taipics.com

Loading tea / Source: Cutty Sark Trust

Unloading tea / Source: Cutty Sark Trust

 

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